VOL.9

「開発」時代のど真ん中

Profile

卒業生/OB/OG
為栗 浩一さん

環境資源工学科
1986年 学部卒業

「開発」時代のど真ん中

私は1982年に入学しました。当時は、資源工学科という名前で、60人ぐらいだったと思います。女性は1人でした。昔は鉱山学科という名前でしたので、学科自体の歴史は長いのですが、時代背景で学科の名前や学ぶ内容も変わってきています。

私は、萩原先生の研究室で、開発工学について学んでいました。その研究室で私は粉塵を研究しました。鉱石を掘って砕くと、現場は粉塵だらけになります。その鉱山の作業員に、フィルターを付けてもらって、実際にどのぐらい吸っているのか、どのような粉塵を吸っているのかを測定するのが卒論のテーマでした。その当時は、まだまだ「環境」というキーワードはなく、「開発」という時代でしたので、環境には配慮しているけど、開発の方が断然に強かった時期です。

秋田に銅の鉱山がまだあり、そこで銅鉱石掘って、精錬していました。頭にライトを付けて、バッテリーを背中にしょって、銅山の中に入って行きました。吸気と排気の経路の計算をしているため、排気の近くの空気は、すごく息苦しく、汚い空気です。それを採取するために鉱山を潜って、下りて、ここで崩れたら死ぬなという経験もしました。開発ですから、どのように掘っていくか、発破も経験しました。今どきの学生さんとは時代が違うと思いますが、現場実習のリアル感が一番印象に残っています。

大学1,2,3年生は、高校時代の延長のように、勉強をして単位を取り、4年生になるとすぐに就職活動でした。思い出すと、あっという間でした。理工大学の場合は、1、2、3年が一般教養、4、5、6年が専門分野という風に考えるべきだろうと思います。そうでないと、すごく中途半端で、一般教養だけやって卒業となってしまいます。最近は70%以上の学生が大学院に行くというのは、すごく頷けます。

石油のサプライチェーンに
携わる誇り

資源開発を勉強して、その資源開発の現場に行く人も60人中10人ぐらいはいましたが、ほとんどが銀行や商社、システム系の会社に就職しました。当時は、開発に投資するにも、その専門家がいないと銀行も困るということで、銀行に採用されていたケースがありました。外資系の会社に就職する人もいましたが、三井、三菱、住友のような大会社に就職した人が多かったです。

私はバブル絶頂の時代に、三菱石油に入社しました。土地は値上がり、石油はなくなりませんという時代でした。仕事で遅くなったらタクシーで帰るという生活でしたし、人気の業界、会社でした。同期で入った人は、原油関連、化学品関連、燃料関連とそれぞれいろんな配属されましたが、石油のサプライチェーンに携わっているという自負、プライドをもって仕事をしていました。

私は、自動車用の潤滑油、エンジンオイルなどの開発で、自動車会社と石油会社の研究所の間をとりもつ技術営業に従事しました。自動車会社は、新しいエンジンで省燃費エンジンオイルを作りたい、石油会社もそれに対して技術開発をし、添加剤や粘度を下げる様々な技術で新しいエンジンオイルを提供します。私は、三菱石油にいましたので、三菱自動車と付き合いがありました。当時は三菱自動車から技術供与受けていた韓国の現代自動車にも、オイルの技術を教えたりもしていました。

自分を知る。自分を発揮する。

ジュンテックという子会社に10年ぐらい出向しました。そこでは、潤滑油をドラム缶で売って、終わりというわけにいきませんでした。古い油を抜いてもらって、新しいものを入れてもらって、使えるようにしてから渡すように言われました。当時の三菱石油では売って終わりだったので子会社に来るとやり方も違うということを痛感しました。物を売るだけではなく、交換作業までセットでやっていました。

当時のジュンテックは、原発の停電時のための非常用ディーゼルエンジン発電機を設置する際の最初にエンジンを洗うブラッシング工程を全国の原発で7~8割行っていた会社です。とはいえ、それほど名前が通っている会社ではありませんでした。名前の通っていない会社だと、お客さまのところに行っても、なかなか会ってもらえず、知らない名前だと帰ってくれと言われるくらいでした。そのため、自分を売り込むしかありませんでした。会社名や肩書ではなく自分自身として力を発揮しないといけないと実感しました。

早稲田大学を出て、順調にいったら、ほとんど肩書だけで定年まで仕事ができると思います。もし、転職をした時には、本当に自分には実力があるのか?!というタイミングが来ます。会社生活を30数年やっていると、部長や課長ができますというのは、あまり意味が無く、私は何かができますというものを持たないといけません。そう考えると、学生時代から、10年、20年後にでも、そのように言えるものを身につけて欲しいと思います。

私の場合は、石油業界に身を置いたので、三菱石油に入社しましが、その後、日石と合併し人数が多い日石ルールになりました。そして、次はジャパンエナジーと合併して全く違う考え方の人達と仕事をすることになり、さらには、東燃ゼネラルと合併、外資の資本が入りました。まさに、激変の時代でしたから、同じ会社に勤めながらもいろんな会社や文化を吸収して、転職したようなイメージがあります。

一生の仕事とする
「環境資源の分野」を
見つけてほしい

高校生にとっては、この環境資源の分野がなかなかイメージできないと思います。私が思うのは、持続可能な社会を作っていくために、地球に対して何ができるのかということを深く学ぶことが出来る学科、学問だということです。特に今は、開発だけではなく、それが環境にどういいのか、リサイクルのことも含めて企業は取り組まないといけません。そういう意味では、この学科の卒業生の力は社会にとても必要です。また、資源というのは、たくさんありますから、その中で、何か興味のある資源が必ずあると思います。そういう分野を一生の仕事とするのはとても楽しい人生であるということを言いたいです。なぜなら、資源や素材、エネルギーは社会に絶対に必要だからです。この先何をやるにしてもこの分野のことを学んでおけば、将来にもとても役にたつと思います。

人生の第2の“ふるさと”へ

私は現在OB、OG会のお世話をさせてもらっています。もう一回東京に戻ってきた人がこのOB、OG会の中に自然と入って来ることができる雰囲気を作っていきたいと思って活動しています。この学科の卒業生は、20代~40代までは皆さん海外で働く人も多いですし、国内でも第一線で忙しく働かれている人が多いです。先輩方も多く、早稲田のネットワークは強いですから、少し時間が空いた時には、また、ここを覗いてもらいたいと思っています。人生の第2の“ふるさと”になれるようにしていきたいです。